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相川まちあるき

下寺町・祈りの散策コース

佐渡代官・大久保長安の逆修塔のある大安寺や
寺町に至る石段といった、鉱山都市として栄えた相川で
重要な役割を果たした寺・墓地をめぐります。

当館からの往復:70分(4.1km)

徒歩での移動時間(立寄り時間は含まれていません)

見どころ紹介

16 世紀後半に鉱脈が発見されてから、島内外のさまざまな人が集まり、相川の町は栄えていきました。それと同時に相川には多くの寺院が建てられたことから、相川町についてより深く知るために、寺町はとても重要な存在といえます。政治や学問、芸術に携わった人たちが眠る墓地と寺をめぐり、当時大切にされていた価値観や宗教にふれてみませんか。


寺町入口・下寺町

下寺町は寺だけの集落で、20もの寺があったという記録が残っています。宗派としては真言宗2宇※、禅宗6宇、浄土宗5宇、日蓮宗7宇となっていて、真言宗が少ないという点で農村部とは異なっていました。

※宇(う):寺の数を表す単位。

詳細情報
住所
〒952-1551 新潟県佐渡市相川下寺町

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浅香家墓地(本典寺)

浅香家墓地には、佐渡奉行所の小判師だった浅香三十郎や、町会議員や相川銀行取締役をつとめた浅香周次郎など、相川の歴史に名を残す人物が葬られています。浅香周次郎の長男、浅香寛は日刊新聞「佐渡日報」を創刊した後、大正12年(1923)には本格的な佐渡のガイドブック「佐渡案内」を刊行。「正調佐渡おけさ」の振付けをするなど、観光の発展にも寄与しました。

詳細情報
住所
〒952-1551 新潟県佐渡市相川下寺町6番地

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日蓮宗本門派・本典寺

本典寺は、京都にある日蓮宗・本門派の要法寺を本山として元和9年(1623)に開基された寺です。当時京町に住んでいた、京都出身・要法寺檀家の山田吉左衛門という資産家が寺を建て、その寺に要法寺の僧侶・日躰が山号※を与えたと言われています。

※山号:寺の名前の上につける称号のこと。比叡山(ひえいざん)延暦寺(えんりゃくじ)の比叡山が有名。

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住所
〒952-1551 新潟県佐渡市相川下寺町6番地

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おすすめポイント

境内には荻原重秀の供養塔があります。荻原重秀は元禄3年(1690)に佐渡奉行となり、元禄9年には勘定奉行を兼任し、正徳2年(1712)に失脚するまで22年間佐渡を治めていました。佐渡奉行の任期中に南沢疎水道を開通、鉱山の再開発など積極的な経営を行いました。


法然寺墓地

法然寺墓地には、奉行・伊丹康勝の供養塔と、奉行・大熊善太郎、田中葵園の墓があります。田中葵園は地役人として相川羽田町に建てられた広恵倉(こうえそう)の経営に携わった他、相川の学問振興に貢献した人物です。自ら「広業堂」という塾を開き、地役人の教育を行った後、奉行所内に学問所を建設して施政に活かすことを建言。これが実現して文政8年(1825)に学問所「修教館」が開設されることになりました。


浄土宗鎮西派・法然寺

法然寺は阿弥陀仏を本尊とする浄土宗鎮西派の寺で、もともとは法界寺の号で河原田にありました。河原田は鶴子銀山の開発に伴ってできた町で、鶴子銀山が栄えていた頃には陣屋も近くにあったそうです。法界寺は、慶長9年(1604)に陣屋が相川に移されたとき、後を追うようにして相川に移転してきたと考えられています。相川に移った後、寛永11年(1634)には浄土宗の触頭(ふれがしら)※となり、下寺町の銀山寺や法円寺をはじめ、多くの寺を管理しました。

※触頭:江戸時代の寺院統制の仕組みの一つで、 幕府および各藩の下で、本山や一般寺院の仲介を行うなど統制にあたった寺院のこと。

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住所
〒952-1551 新潟県佐渡市相川下寺町4

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おすすめポイント

境内には相川洋学校を開いた長谷川元良、地役人・歌人の蔵田茂樹の墓や、佐渡で初めて本格的な施釉陶器「金太郎焼」を起こして広めた初代・黒沢金太郎の供養塔があります。


日蓮宗・蓮長寺

蓮長寺は元和5年(1619)に京都・妙覚寺の末寺として開基されました。もともとは上相川にあり「蓮体寺」の名前でしたが、寛文8年(1668)に下寺町へ移され蓮長寺と改名。その後、浄土宗・来迎寺の跡地を譲り受けて現寺院が建てられました。

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住所
〒952-1551 新潟県佐渡市下寺町19

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おすすめポイント

江戸時代に親子二代にわたって相川町年寄りを務めた商人・伊藤三右衛門の墓があります。伊藤三右衛門は佐渡の歴史や習わしなどに精通していた人物で「伊藤三右衛門日記」「佐渡古実略記」「佐渡国略記」などの書物を残しました。


日蓮宗・法輪寺

法輪寺は慶長9年(1604)に開基された京都・妙覚寺の末寺で、当初は「妙蓮寺」という名前でした。その後寛文9年(1669)に大野・根本寺の末寺となって「妙輪寺」に改名。明治初年には廃寺となりましたが明治10年(1877)に復興し、昭和17年(1942)に上寺町の法久寺と合併して法輪寺に改称されました。

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住所
〒952-1551 新潟県佐渡市相川下寺町13

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南沢町

南沢町は寺町の下の沢一帯を指し、上町台地へ登る道が何本もあって、右は下寺町や中寺町、左は大床屋町・大工町・次助町と、上町台地へ行く小路に通じていました。古くには、買石業者が鉱石の粉成(こなし)※をするために住んだ町と伝わり、磨石(すりいし)や扣石(たたきいし)が出土しています。

※粉成:採掘した鉱石を細かく粉砕し、 水の中で比重選鉱を行い、金などを採取するまでの 一連の作業のこと。

詳細情報
住所
〒952-1546 新潟県佐渡市相川南沢町

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南沢疎水坑

相川金銀山の坑内の湧水を排水するために掘られた、最も規模の大きな排水坑道です。元禄4年(1691)に工事が始まり、約5年後の元禄9年に完成しました。工事は硬い岩盤を手で掘ったため想像を絶する難工事で、合計6カ所から堀り進めるという画期的な工法がとられました。現在も使用されており、坑道内の排水は江戸沢で間切川に放流されています。

おすすめポイント

総延長922メートルの坑道で誤差がほとんど無かったことから、当時の測量技術の高さを知ることができるものとして、平成6年(1994)に一部が国史跡に指定されました。


浄土宗・広源寺

広源寺は京都・知恩院の末寺で、元和7年(1621)に開基、佐渡奉行・竹村九郎右衛門が創建した浄土宗の寺です。当時の浄土宗信者は職人・船乗衆が多く、湊町や鉱山集落に集まる傾向がありました。なお寄進の多い寺で、堂塔仏具などは相川第一の壮麗な寺と言われていたそうです。明治元年(1868)に廃寺となりましたが、明治10年に復興され、現在まで続いています。

詳細情報
住所
〒952-1546 新潟県佐渡市相川南沢町145

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寺町に至る石段(寺坂)

寺町に至る石段は、大安寺のある江戸沢町から、下寺町の法然寺前へ登る急斜面の長い坂を指します。石段は全長約145メートル、1段はそれぞれ3個ほどの加工した小礫まじりの凝灰岩と石英安山岩で組まれ、幅2メートル、高さ10〜20cm、奥行50cmの大きさで、現在246段数えることができます。

おすすめポイント

この石段は、寺院だけで11区画をなす寺町の成立を象徴するもので、江戸時代初期の相川町の形成を示す史跡として貴重なものとされ、佐渡市指定記念物となっています。


浄土宗・大安寺

大安寺は慶長11年(1606)に佐渡代官・大久保長安が創建した逆修※寺です。国指定の史跡である長安の「逆修塔」や、佐渡金銀山開発に努めた河村彦左衛門の供養塔「五輪塔」の他、佐渡奉行所役人の墓も数多く残っています。

※逆修:生きているうちに自分のための仏事を行い冥福を祈ること。

詳細情報
住所
〒952-1547 新潟県佐渡市相川江戸沢町1

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おすすめポイント

大安寺墓地の背後には、みごとなタブの林があります。この林は近世相川の原植生を伝える林として貴重なもので、佐渡市の天然記念物に指定されています。高さ16〜20メートルのタブの大木が多数生育している他、ケヤキやヤブツバキ、モチノキやシロダモが混生しています。


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