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館内案内



【ダイニング・ホール】




【宴会場】




【その他館内施設】



コンベンションホール「平成」


会議やお食事など多目的でご利用いただけるコンベンションホールです。スクール形式、コの字、ロの字などの配置も可能です。

[ 収容人数 ] 100名
[ 会場面積 ] 209㎡

[ 貸出でご利用可能なもの ]
ワイヤレスマイク、CD再生機、プロジェクター、スクリーン
※パソコンの貸し出しはありません

お食事会場「黄金」

お食事はイス・テーブル席でのご用意が標準スタイルとなります。会場は間仕切りでご人数に合わせて区切ることも可能です。
お膳形式対応の会場もございますので、ご要望がございましたらお気軽にご連絡くださいませ。


当館で最も広いお食事会場です。
会場入り口には江戸から明治期の佐渡箪笥、会場内では佐渡名産石や裂き織り、版画などをご覧いただくことができます。こちらの会場は海に面していることから、爽やかな海の景色や夕景とともにお食事をお楽しみいただけます。

[ 収容人数 ] 200名
[ 会場面積 ] 353㎡(内、舞台面積33㎡)

宴会場


白銀(しろがね)

[ 収容人数 ] 32名
[ 会場面積 ] 44畳 78㎡(内、舞台面積10㎡)

天の川・銀河(あまのがわ・ぎんが)

[ 収容人数 ] 32名
[ 会場面積 ] 40畳 74㎡(内、舞台面積13㎡)

日本海(にほんかい)

[ 収容人数 ] 28名
[ 会場面積 ] 63畳 110㎡(内、舞台面積17㎡)

金山(きんざん)

[ 収容人数 ] 60名
[ 会場面積 ] 75畳 125㎡(内、舞台面積19㎡)

桐・松(きり・まつ)

明治時代の建築様式を活かしており、欅や桜などの無垢材がふんだんに用いられた趣のあるお部屋です。
[ 収容人数 ] 24名
[ 会場面積 ] 36畳 56㎡

山茶花(さざんか)

宴会場「桐・松」と同じく、明治時代の建築様式を活かした趣のあるお部屋です。
[ 収容人数 ] 8名
[ 会場面積 ] 14畳 23㎡

その他施設のご案内


庭園

ロビーから海側の道路に続くアプローチは、昔の日本の庭園づくりのかたちを残した趣のある庭となっております。新潟県小千谷市名産の錦鯉も観賞いただけます。

おみやげ処

伝統工芸の無名異焼、裂き織り、竹細工をはじめ、佐渡の名産品を取り揃えております。大切な方への旅のおすそ分けをぜひお選びください。

営業時間/
7:30~10:00、16:00~21:00
※季節等で変動あり

ランドリールーム

3階のエレベーター向かいに、ランドリールームがございます。水着のお洗濯など、お気軽にご利用ください。(有料、コイン式)

バリアフリートイレ

1階に車椅子の方でも楽々ご利用いただける多目的トイレがございます。

佐渡文化を伝える施設

佐渡には大きく分けて三つの文化の特徴があります。一つは順徳上皇や日蓮聖人、世阿弥といった政争に敗れ流人となった貴族や知識人による貴族文化。もう一つは佐渡金山・銀山の発展に伴い、江戸から佐渡奉行所にやってきた役人がもたらした武家文化。そして最後の一つは北前船で佐渡島に上陸した商人が運んできた町人文化です。これら三つの文化が組み合わさったことで佐渡島内の文化レベルが飛躍的に高まり、それに伴って芸術文化が発展し、著名人も多く輩出されるようになりました。江戸時代には、天領地管轄の奉行による武家の文化に加え、鉱山職人や労働者、商人など日本全国から人々が移住し故郷の風習を継承していきました。そして離島であるがゆえに文化は島に留まり、互いに影響を与え合いながら育まれ現代へとつながっています。
ホテル万長では、そのような文化的背景に恵まれた佐渡の芸術に、より多くの方にふれていただきたいと考え、随所に美術品を展示している他、館内に美術品展示室を設けて皆様のご鑑賞に供しております。


貴族文化について

奈良時代より、流刑地として定められた佐渡には、承久3年(1221)に承久の乱で敗れた順徳上皇、文永8年(1271)に鎌倉幕府や他教を批判した日蓮聖人、永享6年(1434)に時の将軍の怒りを買った能楽の大成者である世阿弥など、貴族や知識人が流されてきました。佐渡に流された後、順徳上皇は百首の和歌「順徳院御百首」を完成させており、日蓮聖人は佐渡島内に根本寺や妙照寺といったゆかりの地が多く残されていることから、その時代を境に和歌や鎌倉仏教といった文化が佐渡に持ち込まれたとされています。


武家文化について

江戸時代に徳川家康が本格的に金山開発を進め、佐渡は「天領」と呼ばれる江戸幕府の直轄領となりました。その際に相川に佐渡奉行所が置かれ、江戸から多くの役人が佐渡に入ってきました。佐渡島で能が庶民へと広がったのは、室町時代に佐渡に流されてきた世阿弥の影響だけではなく、江戸時代に島内に来た役人、特に初代佐渡代官を務めた大久保長安の影響があると言われています。能の文化は現代まで受け継がれ、春から秋にかけて佐渡島内で数々の能舞台が開かれています。


町人文化について

佐渡に町人文化が持ち込まれたのは、大阪と北海道を結んだ北前船によるものと言われています。「動く商社」のように寄港地で商品の売買を行った北前船は、佐渡に様々な物資や人、情報を運びました。また佐渡の宿根木は、造船の拠点として栄え、船大工、鍛冶屋や桶屋など造船に関わる職人が集まる地となったことから、様々な技術が継承されてきました。



ホテル万長 美術品展示室


佐渡出身の佐々木象堂の鋳金や土田麦僊の書画、当館にゆかりのある与謝野鉄幹・晶子夫妻が詠んだ短歌、歌人柳原白蓮の書などを中心に、古くは江戸時代より受継がれてきた書画、美術品の数々を公開しております。
また教科書に載っているような偉人、狩野山楽の絵画や、幕末三舟と呼ばれる勝海舟・山岡鉄舟・高橋泥舟の書、日本南画を大成した池大雅、俳諧の巨匠・与謝蕪村、蘭学者の渡辺崋山など、安土桃山時代から江戸時代の歴史的価値の高い作品についても展示しています。ぜひ一度足を運んでみてください。



展示品の一例


佐々木象堂 明治15年(1882)~昭和36年(1961)による鋳金作品。佐々木象堂は佐渡出身の鋳金家で、昭和35年(1960)には重要無形文化財「蝋型鋳造」保持者として人間国宝に認定されています。

本間琢斎の「せのび猫」。本間琢斎は佐渡を代表する鋳造作家であり、佐渡の鑞型鋳金(ろうがたちゅうきん)の礎を築きました。初代本間琢斎 文化9年(1812)~明治24年(1891)。

土田麦僊 明治20年(1887)~昭和11年(1936)による日本画。土田麦僊は佐渡出身の日本画家で、帝国美術院会員。代表作に「大原女」「湯女」などがあります。

高村光雲 嘉永5年 (1852)~昭和9年(1934)による「羅漢木彫(白檀)」。上野公園にある西郷隆盛像の作者でもある彫刻家。木彫帝室技芸員にも名を連ね、木彫の近代化に尽力しました。